親の離婚、子供たちの思い|アメリカとフランスと日本で聞いたこと

boy-crying アミのつぶやき
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親の離婚、子どもたちはどう感じ、思うのだろう?

 

先日、その答え、心の声をアメリカ人の青年から「言葉として」聞いた気がしたので書き記します。

アメリカ、フランス、日本で私が実際に親しく触れ合った人たちと私の経験だけですが、お伝えさせてください。

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アメリカ人の青年(22才)が語った親の離婚への子供の思い

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「親の離婚で、ボクの元の部分がなくなった・・なんともいえない虚しさっていうか寂しさが、いつも心の奥に穴が空いたように留まっている感じ」と、彼は言いました。

「親が離婚した時、ボクは17才、弟は12才だった」

「ずっと仲が良い、楽しい家庭だと思っていたのに、ある日両親から離婚を告げられた。ボクはもう17才だったから、まだ12才の弟のことが心配だったけど、彼も大学入学、ボクも仕事を始める。この春が新しいスタートなんだ」と、パリの公園で偶然出会った青年の言葉でした。

パリでの1年の留学を終えて、ベルギーに就職、弟とお父さんはアメリカ、お母さんは、自分の人生をハワイに求めて旅立ったそうです。

自分の生き方を求めて、違う環境に飛び出した彼のお母さんと自分がだぶりました。

 

その日は、天気がよく、パリのオペラ座近くの公園のベンチは、たくさんの人で溢れていました。

たまたま、となりに座った青年と「鳩の糞」がきっかけで、なんとなくスタートした会話でした。

それが、なぜか二人で目をうるませながら、互いの人生の話になりました。

彼には自分の母親と私が、私には彼が自分の息子とだぶった感じがしたのかもしれません。

これまで出会った親が離婚した子どもたち、(私の息子たちも含めて)の胸のうちを、彼の言葉で言い表された気がして、切ない思いがこみあげました。

親の離婚で表情が変わったアメリカ人の女の子

アメリカで初めて現実の離婚を見た10代だった私は、親の離婚で、暗くなってしまった少女の表情に言葉もありませんでした。

私の留学時のホストファミリーは、今の私の年齢くらいの未亡人の姉妹。

出迎えにキャデラックから降り立った「ルーシーショー」(←古くてすみません、大昔のアメリカドラマです)そのままの、おばあちゃんたちでした。

1970年代のアメリカ西海岸の町は、ドラマで見るアメリカのホームドラマそのものでした。

ホストファミリーの息子さん夫婦がすぐ近くに住んでいました。

高校時代から付き合って、そのまま結婚し、10才の息子さんと7才の女の子がいました。

夕方、ちょっとお邪魔した時に見た4個のハンバーグを焼いているママの姿は、幸せの象徴に見えて、真剣に憧れました。

ところが、その3年後に、再びお邪魔した時には2人は離婚してそれぞれ再婚したと聞きました。

これが、初めて私が「離婚」に接した時ですが、何十年後かに自分も経験するなんて、そのときの私は知る由もなく、小説の中ではないリアルな離婚を目の当たりにして、ひたすらショックでした。

10才になった女の子の表情は暗くなっていて、おばあちゃんは彼女のことが心配そうで、私の結婚式にも連れてきたりしていました。

その女の子からの手紙も途絶えてしまいましたが、離婚が子供の表情にこんなに影響するのだと感じました。

離婚が、子供にこんなにも悲しい表情をさせるのなら、してはいけない・・と思った当時の私でした。

フランス、親の離婚とその後の子どもたち

昨日見たフランス映画の出だしが、ショッキングでした。40代の夫婦が離婚するのですが、離婚パーティーをするのです。

はしゃぐ女友達とともに、ウェディングドレスをハサミで切り裂く妻。

渋い顔の夫を呼び出し、夫が転んだ形のウェデイングケーキに入刀で・・。

「フランス人は離婚パーティーをするの?」と聞いたら、「ノン!こんなの映画の中だけ」とフランス人は言っていましたがこの映画にはビックリでした。

 

フランスでは、離婚するカップルが多いです。

日本のように「妻の権利」とかいうこともなく、「気持ちが変わったのは仕方がない」と。

片方が他の人と、恋に落ちたら即離婚になるようです。

そして、気の毒に思うのですが、それだけでも傷心なのに、これまで2人で積み上げた財産も半分ずつ。

伴侶に去られた上、自分の家に住み続けたければ、その分のお金を出て行く相手に払わなければいけないと嘆く、私の年代の男性たちもいます。

離婚すると、ウィークデーは元の家で片方が子供達を見て、週末は出ていった方が(大抵こちらには新しいパートナーが一緒に住んでます)一緒に過ごすという形のカップルが多いようです。

家族がバラバラになった上に、行ったり来たりの生活を強いられる子供達のストレスはどれだけなんだろう?と思います。

子供達は、当初情緒不安定になったり、反抗的になったりします。

そういう子供達の言葉にできないストレスに、切ない思いで見ていました。

でも、本当にそういう状況の子供達が多いせいか、しばらくすると、子供達の様子も表面上は落ち着いて、新しい家族とも仲良く過ごすようになってくるのです。

「複合家族」というのでしょうか?「ファミーユコンポゼ」が当たり前の認識があり、7才の子供でも、おじいちゃんおばあちゃんの離婚再婚のあらまし、それによってできた家族をスラスラ言えたりします。

それでも、子供達の心の傷は残っているようで、どちらの親も離婚した40代の夫婦は、「私たちの頃は、クラスでも親が離婚していたのは自分だけだったし、周囲の目も離婚した親もとてもいやだった」と今でも言っていました。

さいごに:子育て後の離婚に子供たちの思いは?日本(私の場合)

・・と、人ごとのような見出しにしましたが、これは私のことです。

私は、長男が大学院に入学、次男が大学卒業の時に離婚しました。

大好きで結婚し、最初は仲良し夫婦でしたが、夫の事業での苦労、それを理解していなかった私の未熟さも原因で、心の行き違いが増えていったのです。

「妻は家庭内に」という夫の縛りから飛び出して、外の社会で働きたかったこともあります。

子供達の卒業の節目で、ずっと家で英会話を子供達に教える仕事も、一区切りかなとも思いました。

年齢的にも40代後半で、雇ってもらえるギリギリの年齢という焦りもありました。

 

「仲がいいとは思ってなかったけど、なんと離婚か・・。じょうがないなぁ。まあ、感受性の強い弟が高校の時じゃなくてよかったけど」とその時の長男の言葉でした。

・・きっと心の中では泣いていたんだろうな、と思います。

公園で出会ったアメリカ人の青年と同じように、私の長男も最初に弟のことを心配していました。

 

その次男は、離婚後数ヶ月して、ある大雨の日にバイクでびしょ濡れになって、急に私のところに来たことがありました。

そのときに、「みんな、バラバラになって、誰もいなくなってしまった」と、ポツリとつぶやいた次男でした。

翌朝、帰っていく次男の大きな背中全体が泣いているようで、「ごめんなさい」と思わず手を合わせた私でした。

 

遥かにからだが大きくなった息子たちを「一人前」と思っていた、自分のことで精一杯の当時の私でした。

いろんなことが重なって激動の数年間でした。

 

あの時、震える手で、本屋さんの棚から「離婚・・」の本を手にしてから、「離婚」という言葉をいったん意識したら、助走し始めると止まらないような勢いで、一直線に進んだ私でした。

もし、あなたが昔の私のように「離婚」という言葉が気になっているとしたら・・もちろん状況にもよりますが、立ち止まって、深呼吸して・・解決策は離婚だけなのか、このまま続けていくとしたら、なにか改善策があるだろう?と書き出してみるのはいかがですか。

 

当時、私と同じように離婚を考えていて、踏みとどまった友人たちもいます。

お互いに、そういう時期を乗り越えた上で、折り合いをつけて穏やかな日常を送る友人夫婦。

失うもの、悲しませたりする人はなくてすんでいたのかな・・と、離婚して年月が経って思うこともあるのです。

コメント

  1. […] その出会いは、こちらの記事に書いています→親の離婚、子供たちの思い|アメリカとフランスと日本で聞いたこと […]

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